朗読ビデオ:MPG21.4MB 邦訳 注釈 /// |
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TO AUTUMN Ⅰ SEASON of mists and mellow fruitfulness, Close bosom friend of maturing sun ; Conspiring with him how to load and bless With fruit the vines that round the thatch-eves run ; To bend with apples the moss'd cottage-trees, And fill all fruit with ripeness to the core ; To swell the gourd, and plump the hazel shells With a sweet kernel ; to set budding more, And still more, later flowers for the bees, Until they think warm days will never cease, For Summer has o'er-brimm'd their clammy cells. Ⅱ Who hath not seen thee oft amid thy store ? Sometimes whoever seeks abroad may find Thee sitting careless on a granary floor, Thy hair soft-lifted by the winnowing wind ; Or on a half-reap'd furrow sound asleep, Drows'd with the fume of poppies, while thy hook Spares the next swath and all its twined flowers : And sometimes like a gleaner thou dost keep Steady thy laden head across a brook ; Or by a cyder-press, with patient look, Thou watchest the last oozings hours by hous. Ⅲ Where are the songs of Spring ? Ay, where are they ? Think not of them, thou hast thy music too, ― While barred clouds bloom the soft-dying day, And touch the stubble-plains with rosy hue ; Then in a wailful choir the small gnats mourn Among the river sallows, borne aloft Or sinking as the light wind lives or dies ; And full-grown lambs loud bleat from hilly bourn ; Hedge-crickets sing ; and now with treble soft The red-breast whistles from a garden-croft ; And gathering swallows twitter in the skies |
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秋に寄せて Ⅰ
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【注釈】 ○ この詩は秋の豊かさを歌ったものと、単純に考えるのは早計である。Kubla Khanの 地上楽園のように、一見平和で豊穣な世界の錦絵には、凋落と衰滅の下地が裏打ち されている。第一連では「秋」が太陽と「しめし合わせ」て、果樹や蜜蜂たちをまんまと騙し、 冬の近いことを悟らせまいとしている。第二連で「秋」は至る所に立ち現われ、気長に たたずむことによって目撃者に時間が停止したかのような、自然が一幅の風景画に 化したかのような錯覚を与えてまわる ― 刈り残された麦は、絡みついた花ともども明日にも 刈り取られるだろうに…。第三連では絢爛たる音楽を奏でて傍観者の思考停止をはかる。 だがその音楽は、定めない風に上下する蚊の群れの「悲しげな合唱」であり、屠(と)所に 引かれる日も間近い仔羊の啼き声であり、間もなく死に絶えるはずのコオロギの歌である。 要するに「秋」は、ありとあらゆる術策を弄して、自然と人間に束の間の生の歓びを 味わわせようと努めるのだ。その努力は、幼児の喜びのはかなさを意識しつつ、いや 意識するがゆえに、しきりにその喜びを幼児に語らせようとする、あのBlakeの「母親」 (The Infant Joy)の努力と似ていないだろうか。 >>以上参照:『ロマン派詩選』上島建吉解説注釈(研究社) ○キーツは"To Autumn"のなかで、実りの時としての秋の自然の情景に、必衰の美の はかなさを投影したのだろう。美と、美を損なうものはどちらもがこの世にとって本質的な 存在であり、喜びと悲しみとが表裏一体の関係にあるという認識を持ちながらも、作者は、 その両者が混然として調和したものを、秋という季節の豊かさとして謳い上げている。 ○一つ一つの描写が、秋という季節のワンシーンを鮮やかに切り取ったものだが、 そのなかでも第一連では秋の成熟と結実が表され、第二連でそれらが収穫され、第三連で 取り入れが完了するという、着実な時間の推移がある。これは季節のなかの変化という だけでなく、一日の時の流れともとることができる。すなわち、第一連ではmistの漂う朝から mature sunの昇る昼までの時間が示され、第二連で収穫という日中の労働を描き、 第三連では取り入れの完了によって一日の終わりを告げる。このようにこの詩は、二重の 時の流れの中に置かれているのである。先に述べた必衰の美が、大自然という大きな 時の流れだけでなく、その日その日を生きる人間の生活の中にも息づいている様が 感じられるようだ。しかしながらKeatsは、対象としての「滅びゆく美」を客観的に、冷静に 見つめる態度を貫いている。つまりそれは、滅びの時にすら平静で臨もうとする姿勢であり、 死を必然とする人生を肯定的に受容しようとする作者の意思の表れともとれる。 >>Edited by Goto, 2003. Oct. |
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