沖縄に念仏を伝えた袋中上人の誕生から琉球上陸まで
袋中上人(たいちゅうしょうにん)は1552年(今から約460年前)に福島県いわき市で誕生した。
7歳でおじが住職をしていた能満寺に入り、僧侶になるための勉強を始める。
14歳で出家し袋中と名を改め、修行のため各地の寺をまわり、25歳の時には江戸の増上寺という大きな寺へ学びにいく。
江戸では、〔南無阿弥陀仏〕と唱えると、死後、極楽浄土へ生まれ変わることができるということを教わった。
29歳、請われて故郷(福島県)に帰り、成徳寺の住職になる。
その後、48歳で岩城の菩提院の住職になるが、さらに仏教の勉強をするために、52歳の時に琉球(現在の沖縄県)の大型帆船で明(現在の中国)に渡ろうする。しかし、当時日本は朝鮮、明と国交が断絶していたため明へ入国できず、結局琉球に上陸し3年間とどまることになる。
これが、袋中上人と沖縄県との出会いである。
琉球では国王尚寧の帰依を得て、浄土念仏の布教や、『琉球神道記』の著作に没頭した。
55歳になり明へ渡ることを諦めた袋中上人は、帰国後、京都・奈良に滞在する。そして60歳の時、町衆の寄進により京都に建てられた壇王法林寺を拠点として念仏の布教に専念するようになる。
1628年、76歳の時に念仏三昧道場として西壽寺を建てる。
その後1639年、袋中上人87歳、病のため西方寺で息を引き取った。
袋中上人の死後、その業績を顕彰するため、戦争で焼失した檀王別院袋中寺を経て1957年に袋中寺が建てられる。