W美濃地域の横穴式石室


 横穴式石室は、4世紀の終わり頃から数回にわたって朝鮮半島から導入された新しい埋葬施設です。最初に導入したのは、北部九州地域で、その形態は入り口を玄室より一段高く設けた両袖式であることに特徴があります。一方、それより1世紀近く遅れて畿内地域で導入した横穴式石室は、片袖式であるという特徴があります。
<美濃地域の北部九州系石室>
 北部九州から直接採り入れたものではなく、周辺地域で採用されたものが二次的に入ってきたものであると考えられます。導入経路は、日本海側からと太平洋側の二つが考えられます。前者の経路では、長良川流域の西ヶ洞3号古墳(白鳥町)や後平茶臼古墳(富加町)が、後者の経路では元三ヶ根1号古墳(多治見市)が挙げられます。
<美濃地域の畿内系横穴式石室>
 畿内から東国に通じる『古東山道』と呼ばれる政治色の強い道路に沿って分布する傾向にあります。畿内の政権による東国支配の前線基地として重要な拠点であった美濃地域は、畿内の石室形態を『古東山道』沿いにいち早く採り入れた、あるいは採り入れることを強制されたのかもしれません。

「いにしえの美濃と飛騨」図録(財団法人 岐阜県文化財保護センター)より抜粋