T弥生文化の広まり |
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野笹遺跡(美濃加茂市)からは、『松菊里型住居』に似た住居を発見しました。この住居は、平面形が円形で、中央土杭とそれに伴う二つの土杭があり、柱穴が多角形配置となる住居です。県内では野笹遺跡でしか発見されていません。韓国の松菊里文化に伴うものと考えられているもので、日本へ伝えられたのは縄文時代晩期とみられますが、東海地方へは弥生時代の中期前半と考えられます。 |
Uクニの分立 |
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砂行遺跡(関市)からは、弥生時代前期からの流れをもつ条痕文系土器を確認しました。条痕文系土器は従来、弥生時代中期末まで残存することが確認されていましたが、それが弥生時代終末〜古墳時代初頭まで残存することがわかりました。 |
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「いにしえの美濃と飛騨」図録(財団法人 岐阜県文化財保護センター)より抜粋 |