X飛騨の古墳


 5世紀の終わり頃、飛騨地域には極めて特殊な石室が尾根や山の上に築かれます。板状の石材を積み上げたもので、その形態は北部九州のものによく似ています。冬頭山崎2号古墳(高山市)は、この種の石室に類するものだと考えられます。北部九州からの影響は、おそらく北陸地域から入ったもので、日本海を経由した交流が存在したものと思われます。
 また、6世紀末頃の冬頭山崎1号古墳の石室には、北部九州からの新たな影響が随所にみられ、北からの影響は一度限りではなく、何度もあったのでしょう。
 ところが、7世紀になると石室の様子は大きく変化します。与島古墳群(高山市)に見られる石室は、美濃地域の形態に極めて近似し、出土した遺物の中には畿内地域の影響が色濃く認められるものがあり、それまでの北からの影響にかわって南からの影響が強くなります。

「いにしえの美濃と飛騨」図録(財団法人 岐阜県文化財保護センター)より抜粋