平成7年、ユネスコの世界遺産に登録された白川村荻町の合掌造り集落。その北端に位置しているのが国・県指定の重要文化財、和田家です。
 和田家住宅は、茅葺切妻合掌造りで、桁行12間(約22m)、梁間7間(約13m)。白川村に現存する合掌造り家屋の中では、最大の規模を誇っています。
 和田家は、代々名主を勤めた家柄で、江戸時代には荻町から越中の間の関所であった牛首口留番所の役人も勤めており、また、焔硝(鉄砲の火薬・花火の原料として使われた)の製造取引によって富を得るなど、政治的にも経済的にも大きな力を持っていました。 それは、和田家の仏間の前に、江戸時代には役人など貴賓専用であったとみられる式台つきの玄関を持つという、同家の間取りにもあらわれています。
 なお、牛首口留番所や焔硝に関しては、和田家関係論文の中にある和田正人氏の論考をご覧下さい。
 さて、和田家の建築年代は明らかではありませんが、同家の過去帳に、宝暦8年(1758)の記録がみられることから約300年前と推測されています。ただ、「座敷関係の造りは当初からこれではなく、おそらく江戸末期の改造であろうと聞いている」(和田正美氏談)といった話もあります。先に記した式台つきの玄関や客室として使われたオクノデイの書院造りなど全体的に格式をもった造作がなされているといえます。
 また、居間的な空間であったオエは、「年に1回の大寄合、地域の伝統芸能の一つである獅子舞の練習など、今では公民館でやっていること(に使われていた)。(獅子舞は)20日間くらい練習を重ねていた。なつかしく思い出されます」(和田正美氏談・カッコ内筆者)と、家族の団欒の場であると同時に荻町地域の人々の団欒、よりどころの場となっていたということを窺い知ることができます。

 牛首口留番所の役人をしていた頃、焔硝の製造を盛んに行っていた頃、そして、オエが荻町地域の人々のよりどころとなっていた頃、和田家住宅はいつも和田家の人々、さらに荻町地域の人々と共にありました。
 そして、それは現在にも連綿と受け継がれ、かつて、公民館的役割を果たしていたというオエなどは、現在では一般公開され、観光客をはじめとした荻町地域以外の多くの人々をも受け入れています。
 和田家は、現在もその歴史を刻み、活き続けているのです。

和田家 囲炉裏