白山中宮長滝寺は、奈良時代の創建以来、加賀馬場・越前馬場と並び白山信仰の拠点の一つとして栄えた。
1021年に延暦寺天台別院となり勢力を拡張していくなか、1255年、後深草天皇より飛騨国河上庄を下賜される。河上庄は高山の川上郷、現在の新宮から清見の福寄(ふくより)辺りの広い地であり、白山中宮長滝寺の経済的基盤となった。その後、この地は三木氏の家来など他の者の手に渡るが、金森時代になり飛騨一体が統一された。
白山中宮長滝寺は、明治の神仏分離の際、長滝白山神社と白山中宮長瀧寺に分けられた。1月6日に神社では六日祭が催され、国指定重要無形民俗文化財の「長瀧の延年」が奉納される。