☆新島の飛騨んじい☆
新島の飛騨んじい
赤座憲久「新島の飛騨んじい」江馬修「流人」より
作・こばやし ひろし
新島の飛騨んじい
今から十六年前、飛騨で百姓一揆が起こった。勘兵衛をはじめ、おおよそ二十人の農民がお上からお裁きを受けた。その中にはわずか十九歳で打ち首になった少年もいた。島送りを通告されたのは九人。実際、新島にたどり着いたのは三人、勘兵衛、治八、磯右衛門。彼らを含め、一揆で裁きを受けたものは「飛騨んじい」と呼ばれ崇められている。
その中の一人、勘兵衛が倒れたという話が、飛騨までとどいた。それを知った勘兵衛の息子・勘左衛門は「新島に渡ろう」と決意した。そして、勘左衛門は己の決意を家族にうちあけた。その時、清十郎が勘左衛門の家にやってきた。彼もまた、先の一揆で「永たずね」になった人間であった。清十郎は勘左衛門が勘兵衛のもとに行くと聞いてやってきたのであった。彼は、勘左衛門に「親孝行のために行くのではなく、飛騨の百姓の総代として行ってくれ」という。はたして、勘左衛門は親孝行のためだけではなく、飛騨の百姓の総代としても新島へ渡ることを決意した。