沖縄修学旅行おぅらいデジタル・アーカイブ
沖縄の伝統文化

沖縄の伝統文化を学ぶ 大城學氏

4.伊江島の芸能


沖縄の伝統文化を学ぶ
大城學氏

4.伊江島の芸能
(2)大和芸能の習得

なぜ伊江島に、これほどまでに大和の芸能があるかといいますと、レジュメにも書いてありますように、1675年から1804年の間に、伊江島総地頭が伊江御殿(いえうどぅん)、伊江島のお殿様のような方ですね。そこから9回、それから川平御殿(かわひらうどぅん)から4回、計13回大和旅に行ったりしております。薩摩まで行った方もいますし、江戸まで行った方もいると。彼らが大和の芸能をしたたかに学んで、伊江島に帰って、伊江島風にアレンジして定着させるというようなこともやっているわけです。
大和の芸能を習得してくるというのは、何も伊江島だけではありません。1600年代の後半になりますけれども、1660年、1670年代に、琉球の役人で羽地朝秀という方がおりまして、彼は世変わりをしたいという願望があるわけですね。それで、役人はこうあらなければならないという文章をたくさん出すのです。
それがまとまったもので『羽地仕置(はねじしおき)』という文書が残っていますが、それを見ますと、王府の役人というのは大和の文化をしたたかに習得しなさいと書いてあるのです。例えば能の謡などがありますし、お花、お茶、乗馬、そんなことまで習得しなさいと書いてある。どんな家筋のいいところの青年でも、これだけの大和の芸能を習得しないと、ポストには就けないというようなことまで書いてあるわけですね。
ですから1600年以後というのは、琉球全体が非常に積極的に大和の文化を取り入れたりしている中で、伊江島も実はそういうことをやってきたわけですね。
ですから、薩摩や江戸に行った役人たちが帰ってきますと、国王の前で能を演じてみせたり、謡をやったりすることもあるわけですね。そのような時代がございました。
ですから、伊江島がそれだけ積極的に大和の文化を取り入れたというのは、何も伊江島だけのことではございませんで、当時の琉球全体にあったことですが、それを伊江島は芸能で残したということです。
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【参考資料】

「沖縄の伝統文化」

※資料随時追加予定