エイサーデジタル・アーカイブ
エイサーについて

4.エイサーの歴史
(2)年表からみる袋中上人

年表(袋中・沖縄・日本)

袋中上人

沖縄・琉球

日本

時代



1552年
福島県いわき市で誕生。
名前は徳寿丸。

1565年
徳寿丸14才。
出家し、袋中という名をもらう。


1575年
袋中25歳。
江戸に出て増上寺で勉学に励む。
メモ
念仏の教え
「南無阿弥陀仏」と唱えると死後、極楽浄土に往生(生まれかわる)することができるということ。

1581年
袋中29歳。
福島県へ戻り、成徳寺の住職になる。

























1600年
袋中48歳。
いわき市菩提院の住職になり、念仏を広める。
メモ
 村で伝染病が流行ったとき、袋中は疫病神に出会い、伝染病の治療薬をもらう。病人に飲ませるとすっかり治ってしまい、村人からとても感謝されたという。



1603年
袋中52歳。
さらに念仏について勉強をするため、明(中国)へ琉球の大型帆船で渡ろうとするが上陸できなかった。

その後、琉球の国王が袋中を迎え入れ、袋中のために桂林寺を建立。
《現在も跡地が沖縄に残っている。》

その後3年間琉球に滞在し、念仏を伝えながら、子ども達にも覚えやすく平易な念仏歌をたくさん教え、一緒に歌い踊った。
やがて、子どもだけでなく大人にも広がっていく。


1605年
袋中55歳。
琉球国王や村人たちとの別れを惜しみながら故郷福島県へ帰る。


第二尚氏王統
国王:尚元





















1579年
首里門に「守礼之門」の額を掲げる。







1586年
渡嘉敷三郎が真玉橋付近で瓦製造を始める。


1589年
国王:尚寧

































1603年
袋中上人が来琉し浄土宗を伝える。














1605年
野国総管が福州から甘藷(いも)を持ち帰る。

袋中上人帰国。
『琉球神道記』を著す。
鉄砲が伝わる。

1549年
フランシスコ=ザビエルがキリスト教を伝える。








1573年
織田信長が室町幕府を滅ぼす。















1582年
織田信長が京都の本能寺で家来の明智光秀に攻められ自ら命を絶つ。

信長の死を聞いた豊臣秀吉が明智光秀を打ち破る。


1590年
豊臣秀吉が全国を統一する。

明(中国)を従えようと、2度朝鮮へ兵を送る。
中国は日本を敵としてみるようになる。

1598年
豊臣秀吉が病死。

1600年
「天下分け目の戦い」といわれる関ヶ原の戦いで徳川家康が豊臣方に勝つ。












1603年
徳川家康が江戸に幕府を開く。




























室町時代

戦国時代
































































































袋中上人が琉球で作ったいくつもの念仏歌は島の人々に受け継がれ、今のエイサーと呼ばれる沖縄の盆踊りとなったのである。

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【参考資料】