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『美濃焼探検』を終わって |
| 僕は、『美濃焼探検』の取り組みを始めるまでは、「ラスター彩」について調べれば美濃焼の研究になると思っていました。でも調べてみると、「ラスター彩」というのは、現在の1つの美濃焼であることが分かりました。
美濃焼には、なんと1300年もの歴史があり、その長い期間にいろいろな焼き物が焼かれるようになったことが分かりました。
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| 特に美濃焼では、「志野」や「瀬戸黒」「黄瀬戸」「織部」という桃山陶器が有名ですが、これは今から400年ぐらい前の焼き物です。それまでの焼き物は、中国や朝鮮の焼き物に少しで近づきたいという思いで作ってきたものです。しかし、桃山陶器は、中国や朝鮮の焼き物とは全く違う日本で初めての形や作り方をする陶器だったのです。
この桃山陶器は、瀬戸(愛知県)で作られていたと言われていましたが、昭和5年に荒川豊蔵さんが美濃で焼いていたことを発見し、それ以後は桃山陶器を復活させることができました。本当にすごい陶芸家だと思います。 豊蔵資料館に行ったときに、お弟子さんからくわしく「志野」や「黄瀬戸」の焼き物の素晴らしい作品とそうでない作品の見分け方や、それを作るための苦労話を聞くことができたことで、美濃焼の奧の深さを実感することができました。
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| 夏休みを利用して、たくさんの陶器づくりにチャレンジしました。僕が思っていたよりも、形を整えるのがとても難しくて苦労しました。しかし、できあがった自分の陶器でご飯を食べると、とてもおいしく感じました。またチャンスがあったら、陶器づくりにチャレンジしたいです。
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| 今の美濃焼には、たくさんの種類があって、「美濃焼ってどんな焼き物?」と聞かれても、一言で言えないことも分かりました。日本中で使っている食器の半分は、この美濃(東濃)で焼かれたものです。確かに、多治見や土岐などには、たくさんの陶磁器の工場があることを思い出しました。いつもは工場のことが少しも気になっていませんでしたが、この『美濃焼探検』をしたことで、僕の町の様子についてじっくりと見つめていくきっかにもなりました。
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