★春の高山祭りの屋台について紹介しま~す★ ☆神楽台、三番叟、麒麟台、石橋台、五台山、鳳凰台、恵比寿台、龍神台、崑崗台、琴高台、大国台、青龍台の計12台です☆ 高山祭りの屋台

◎ 春の高山祭りの屋台 ◎

★かぐらたい★
《神楽台》

特色 祭礼に際しては、侍烏帽子(さむらいえぼし)、素襖(すおう)姿の五人の楽人を乗せて獅子舞を付随さ せ、全屋台に先行する。曲は「場ならし」「高い山」など多数あり、場所により使い分ける。嘉永の改修のとき、金具に一坪 (三・三平方センチメートル)あたり一匁(四グラム)の純金が使用された。



★さんばそう★ 《三番叟》

特色 二十五条の細綱で操るからくりがある。童形の三番叟人形が所作を演じつつ、機関(からくり)樋の先端へ 移行した聯台(れんだい)上の扇子と鈴を持ち、面筥(めんばこ)に顔を伏せ、翁の面を被り、謡曲「浦島(うらしま)」に和 して仕舞を演ずるという構成である。屋台曳行順のくじは、必ず「一番」を引くことになっていて、神楽台についで他の屋台に 先行する慣例となっている。



★きりんたい★ 《麒麟台》

特色 台名の示す通り、屋根飾りとして一対の麒麟を載せ、中段、上段の木鼻の彫刻も麒麟の意匠となっている。 下段の唐子群遊彫刻は谷口与鹿の作で神技といわれ、屋台彫刻中の逸品である。豪華絢爛の屋台である。



★しゃきょうたい★ 《石橋台》

特色 からくり人形は長唄石橋物(しゃっきょうもの)のうち、「英執着獅子(はなぶさしゅうちゃくじし)」を 取り入れたものである。濃艶(のうえん)な美女が踊っているうち、狂い獅子に変身し、また元の姿に戻り両手に牡丹の花を持 って千秋万歳(せんしゅうばんぜい)と舞い納める構成である。明治二十五年(1892)に風紀上よくないと中止にされた が、昭和五十九年に復活された。重厚で調和のとれた屋台である。



★ごだいさん★ 《五台山》

特色 朱塗り格子を透かして、回転する御所車がみえる。車は京都御所用車師中川万吉の作。獅子牡丹の刺繍幕は 円山応挙が下絵を描き、下段の飛獅子彫刻は幕末の左甚五郎といわれた諏訪の立川和四郎作。見送り幕の雲龍昇天図は明治の帝 室技芸員幸野楳嶺(こうのばいれい)の原作で、京都西陣で製作に半年を要した綴錦織の大作で あり、各所に由緒を誇る屋台である。



★ほうおうたい★
《鳳凰台》

特色 屋根中央部に赤木白毛の長い鉾をたて、根部に緋羅紗(ひらしゃ)の屋根覆いをまとっている。赤黒黄三色 の大幕はオランダ古渡りの珍しい毛織といわれる。全体に堅牢で、金具も目立たなくして木材の美しさを強調している。狭い道 路の通行に備え、上段蛇腹(じゃばら)形支輪(しりん)が伸縮するようになっている。



★えびすたい★ 《恵比寿台》

特色 下段の龍、中段の獅子、手長足長像の彫刻はいずれも名工谷口与鹿が情熱を傾けた会心の作。金具の鍍金(ときん)には 14キログラムの純金が使用される。見送りは幡(はた)見送りといわれる形式で、西洋の風俗を画材とした綴錦織(つづれに しきおり)。鯉の伊達柱(だてばしら)は藤原家孝卿の牛車に使用されたもの
である。


★りゅうじんたい★ 《龍神台》

特色 三十二条の糸を操って龍神のはなれからくりが演じられる。これは、竹生島の龍神にちなんだもので、八尺余りの橋樋の 先端に、唐子によって運ばれた壷の中から突然赫(あか)ら顔の龍神が紙吹雪をあげて現れ、荒々しく怒り舞うという構成であ る。見送りは試楽祭には望月玉泉(もちづきぎょくせん)筆の雲龍昇天図、本楽祭は久邇宮(くにのみや)朝彦親王の書で、明 治天皇の鳳輦の裂れで表装されたものを用いる。


★こんごうたい★ 《崑崗台》

特色 天保年間(1830~1844)までは、中国の故事により、林和靖と唐子のからくり人形があった。棟両 端の金幣、屋根上の宝珠は、「崑崗」が中国随一の金銀の産地であることに由来し、金塊をあらわしている。見送りは中国産の 刺繍、寿老と鹿の図である。



★きんこうたい★ 《琴高台》

特色 鯉魚と波浪を刺繍した大幕を用い、伊達柱(だてばしら)は黒塗地に鯉の滝昇りの大金具を打つ。欄間にも 与鹿の鯉魚遊泳の彫刻があるなど、鯉づくしの意匠となっている。本見送りは徳川家十六代家達書の琴高仙人の詩、替見送りは 垣内雲りん(かいとううんりん)の琴高仙人図である。



★だいこくたい★ 《大国台》

特色 構造上に工夫がこらされ、屋根棟と上段の縁が違う動きをして、しなう美しさを出している。祭神となって いる大国天の人形はもとは腹中から七福神が舞い出るからくり人形であったという。毎年、くじによって決められる屋台曳行順 で、この屋台の順位が若ければその年は米価が高く、その反対であれば安いという伝承がある。中段欄間の石田春皐作飛龍、下 絵の土村英斎(どむらえいさい)作獅子の彫刻が引き立っている。



★せいりゅうたい★ 《青龍台》

特色 国主金森氏が、特に日枝神社を崇敬すること篤く、この屋台組が神社膝元の重要地区にあったことなどか ら、金森氏の代行として宮本(みやもと)と呼ばれて、家紋梅鉢を使用し祭事を主宰する特権を持っていた。これは明治二十四年 (1891)に宮本が輪番制になるまで続いた。台形も三層で、天守閣型の屋根(入母屋造)となっており、他の屋台と趣を異 にしている。



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