北海道開拓の村

野外博物館「北海道開拓の村」

「北海道開拓の村」は石狩平野の南部の札幌市郊外に広がる道立野幌森林公園内の記念施設地区にある。村内は明治から昭和初期にかけて建築された北海道各地の建造物約60棟が移築、復元、再現されており、開拓時代の人々の生活や知恵、努力を学ぶことができる。
村内は、市街地群、漁村群、農村群、山村群の4群で構成されており、建物ごとに資料展示をしている。また市街地群には、札幌の市街を運行していた馬車鉄道(冬期は馬そり)を再現し、村内を運行している。

開拓時代、全国から開拓使を集ったため、住宅様式も様々で、当時の各地域の様式の建物が展示されており、貴重な資料となっている。

市街地群

旧札幌停車場(管理棟)

1908(明治41)年に建てられてた札幌停車場の外観を縮小し、再現したものである。もとの札幌停車場は、1951(昭和26)年に老朽化のため取り壊された。この建物に用いられていたスティックスタイルは、柱、梁、筋かいなどの構造材を外部に現し、その怠惰の壁を石、レンガ、土壁などで埋めて作るハーフティンバー(半木造、半骨造)から発達したものである。現在は開拓の村の管理棟となっている。

旧開拓使札幌庁舎(ビジターセンター)

旧北海中学校

旧有島家住宅

日本近代文学史上を代表する作家のひとりであえる有島武郎(1878-1923)が、1910(明治43)年から翌年ごろまで実際に生活していた住宅である(旧所在地は札幌市白石区菊水)。一般の住宅にも、上げ下げ窓などの洋風意匠を取り入れはじめたころの建物である。

旧龍雲寺

島歌郵便局

旧浦河公会会堂

旧武井商店酒造部

旧近藤染舗

旧太田装蹄所

藤原車橇製作所

旧札幌拓殖倉庫

市街地群を走る馬車鉄道

1897(明治30)年、北海道で初めて馬車鉄道が函館で運行した。馬が軌道上の客車や貨物を引く馬車鉄道は電車に先駆けた市街地交通であり、さらに鉄道を補う地方交通、石炭や木材運搬としての産業交通、拓殖計画による植民地軌道としての交通など、さまざまな役割を果たし、人々の暮らしになくてはならないもののひとつであった。村内では冬期は馬そりが運行し、物資や人の移動に活躍している。

市街地群を走る馬車鉄道

漁村群

旧青山家魚家住宅

旧土屋家はねだし

旧秋山家漁家住宅

農村群

旧納内屯田兵屋

旧岩間家農家住宅

旧樋口家農家住宅

旧樋口家は富山県から移住した水田農家で、1893(明治26)年に入植し5年目にこの住宅を建設した。富山県出身の棟梁に建築を依頼し、富山県特有の建築様式であるワクノウチ造り(釘などを一切使わない工法で、茶の間を中心に主架講がかり、登り梁をほぞ差しにする造り)を取り入れた。材料は近くの原生林から切り出したといわれている。

旧小川家酪農畜舎

大正末期に札幌農学校出身の小川三策がアメリカから取り寄せた設計図を参考に建設した畜舎である。19世紀のアメリカで発達したバレーンフレーム構造が特徴である。また、サイロは地面に円形状に掘った簡単なものであったが、その後、現在の軟石サイロを厚別の農家より譲り受け移築した。

山村群

旧菊池家農家住宅

1886(明治19)年、新潟で結成され北越殖民社は農業開拓を目的とした団体で、野幌原野の開拓を目指して入植し、地域の先駆的な役割を果たした。この住宅は、その一員で新潟県魚沼郡出身者の住宅であり、新潟県山間部の豪雪地帯にみられる様式である。1893(明治26)年ごろに南蒲原郡出身の初代菊田常吉が買いうけて移築した。

旧札幌農学校寄宿舎(恵迪寮)

開拓小屋

開墾小屋ともいわれ、移住者が耕地開拓のため最初に建てた仮住宅であり、この小屋で生活し観光に従事した。丸太を埋め立てて柱とし、桁、梁、垂木をわたし、笹や茅などで屋根を葺き、出入口や窓にむしろを下げている。屋内は一部土間であり、ほかは笹や枯草を重ねたむしろを敷き、呂を設けている。現在の建物は明治期のものを1990(平成2)年に再現したものである。

炭焼小屋