「おぅらい」(沖縄修学旅行資料)

沖縄のデジタルアーカイブ

本学では沖縄の多くの方々のご協力、ご支援で、沖縄の伝統文化、自然などのデジタルアーカイブを進めてきた。その結果、一万件をこえる沖縄の映像素材をデジタル化することができ、多様なデジタルアーカイブの教育研究に利用している。

特に「おぅらい」は高校生の修学旅行の参考資料として構成しており、「観光施設」「平和への願い」「世界遺産」「生活文化」「自然」「伝統文化」「産業」などのカテゴリーに資料を分類している。
また印刷物とWebページがあり、印刷物にはQRコードをつけ、興味、関心のある項目についてはスマートフォンやタブレット端末でQRコードの読取りを行うと、Webページの詳しいデジタルアーカイブを閲覧することができる。

観光施設

国際通り

那覇市の県庁前交差点から安里三叉路にかけての約1.6km(1マイル)の通り。
平和通り、牧志公設市場などが隣接し、土産品店や沖縄料理店等が軒を連ねる。戦後のあざやかな発展から、「奇跡の1マイル」とも呼ばれた。

平和への願い

ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館

沖縄県南部の糸満市にあり、沖縄戦末期に沖縄陸軍病院第三外科が置かれた壕の跡に建つ慰霊碑。名称は学徒隊として従軍していたひめゆり学徒隊にちなんでつけられた。敷地内には複数の慰霊碑や塔が建てられている。

沖縄の世界遺産

首里城跡(国営沖縄記念公園(首里城公園))

那覇市首里の丘陵地帯に立地。尚巴志(しょうはし)が琉球を統一した1429年から琉球処分の行われた1879年までの450年間、歴代の琉球国王の居城および政治・行政、宗教、文化の拠点であった。沖縄戦によりほぼ全焼したが、その後徐々に復元し、現在に至る。

沖縄の生活文化

衣/ミンサー

ミンサーの語源は「ミン」が綿、「サー」は狭を表し、細い帯と解釈されている。絣模様には四つと五つの四角を組み合わせた形があり、「いつ(五)の世(四)までも末永く」という意味があり女性から男性に贈られた帯に使われていた。

食 料理/東道盆とぅんだーぶんに盛られた宴席料理

沖縄の食文化は、王朝時代に最高のもてなし料理とされていた料理の数々が、時代とともに一般の人々の間に広まりを見せ、現代へと息づいている。沖縄料理は医食同源。この考え方は中国や朝鮮から伝わった思想といわれ、「身体に良いものをおいしく食べることが健康につながる」といわれている。

食 菓子/サーターアンダーギー

黒砂糖は沖縄の特産品であり、沖縄では来客時のお茶うけやおやつとして用いられる。 沖縄の代表的な揚げ菓子であるサーターアンダーギーにも黒糖が使用されており、沖縄のことばで「サーター」は砂糖、「アンダーギー」は油で揚げたものという意味である。Webページ「沖縄修学おぅらい」では、サーターアンダーギーのレシピを掲載している。また、他にも沖縄の食文化を代表する料理の中からいくつかのレシピを掲載している。

食 果物/バナナ

砂沖縄特有の亜熱帯気候と隆起珊瑚の土壌に適した豊富な種類の熱帯果樹が栽培される。

生活文化

琉球村 旧島袋家住宅

沖縄の文化や芸能などを見て、体感できる施設。村内の家屋郡は国指定の登録文化財(有形・建造物)であり、水牛による昔ながらの精糖作業なども見ることができる。

シーサーと赤瓦

沖縄の住まいや街には色々な魔除けがみられる。シーサーは厄災から家族を守るためのものである。また、サンゴ石の石垣の入り口から入ったところに設けられる衝立(ついたて)のようなヒンプンも魔物が家の中に入ってこないようにする役割を持っている。

赤瓦屋根の住宅群とサンゴ石の石垣(竹富島)

赤い瓦屋根は、沖縄の伝統的な住まいの外観的な特徴の一つである。沖縄で最も手に入りやすい土が赤土であることから18世紀頃からが使われるようになった。家の周囲を囲む石垣はサンゴ石で、海浜に打ち寄せられたサンゴの死骸や耕作中などに地中から出てきたサンゴ石灰岩を積み上げて作られている。
竹富島は集落全体が沖縄古来の姿を保っており、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

沖縄の自然

玉取崎展望台(石垣島)からの眺め

ハイビスカス

沖縄の伝統文化

琉球舞踊(演目 加那ヨウー天川)

琉球舞踊は神遊びの舞と民間の娯楽の踊りから発達した。琉球舞踊には、中国からの使節団を歓迎するための「御冠船踊り」がその起源とされる宮廷舞踊(古典舞踊)と、廃藩置県後に古典舞踊を元に発展した雑踊り、沖縄各地の村落で伝承されてきた民俗芸能などがある。

組踊「二童敵討」

組踊は、舞踊、音楽、台詞の三つの要素から構成された沖縄独特の戯曲であり、国指定重要無形文化財に指定されている。2010(平成22)年11月、国連教育科学文化機関(ユネスコ)は「人類の無形遺産の代表的な一覧」へ「組踊」を記載することを決定した。
「二童敵討」のあらすじは、 首里王府も滅ぼそうと企んでいる阿麻和利が、王府の忠臣である中城城主 護佐丸を攻め滅し、その後、護佐丸の二人の息子が、野遊びをしている阿麻和利を討つという仇討もの。

沖縄の産業

琉球漆器 加飾作業

琉球の漆器は、海外交易の盛んな14世紀~15世紀の頃から始まり、その技術、芸術性が高く評価され、献上品としてまた貿易品として最も喜ばれた品物の一つである。立体的な浮彫表現である「堆錦」技法は、中国の堆朱の技法からヒントを得て、沖縄独特の加飾法として考案された。

三線 金枠に蛇皮を固定する作業

三線は、沖縄の人々に最も愛されている楽器で、14世紀~15世紀頃に中国から伝わったものに改良を加えて現在の三線になったといわれている。蛇皮をはった胴に棹をつけ、そこに3本の弦をはる。終戦直後は物資がなく、空き缶を利用した「カンカラ三線」が作られ演奏されていた。

「おぅらい」印刷物とWebページの連携

タブレット端末での印刷物内QRコードの読み取り

レット端末での印刷物内QRコードの読み取り終了