高山

飛騨高山

飛騨高山は東西は乗鞍、穂高、槍ヶ岳、白山連峰に、南北は河川渓谷に囲まれ、盆地として高山、国府、古川盆地があるという山々に囲まれた地位であり、土地のほとんどが山林である。

観光

飛騨民俗村(飛騨の里) 車田の稲刈りの様子

飛騨民俗村(飛騨の里)は、古い民家と生活、その貴重な過去の遺産を後世に伝えるために建設された。飛騨の豪雪に耐えてきた合掌造りや昔の農民生活を知ることができる生活農具、数々の山村生産などを多く展示している。また、わら細工や刺し子などの実演や季節の行事も行っている。

飛騨高山まつりの森 館内の様子

山の岩盤を掘削した地中建築「高山祭りミュージアム」には、高山祭りの祭屋台の模型や、大太鼓が展示されている。隣接する「自然の森」では、岐阜県で発見されたギフチョウや世界各地の蝶を、「茶の湯の森」では、高山で盛んであった茶の湯の道具などの工芸品を見ることができる。

歴史

野麦峠 『あゝ野麦峠』(山本茂実 著1968年)の主人公 政井みねとみねを背負う兄辰次朗像

野麦峠は、岐阜県と長野県の境に位置し、飛騨と信州、江戸を結ぶ街道の峠である。明治から大正にかけ、何千人もの飛騨の若い女性が製糸工女として、この峠を越え長野県の製糸工場へ出稼ぎに行っていた。 当時の飛騨はとても貧しく、口減らしのため働きに出されていた。
飛騨の女性が野麦峠を超えて、長野県の製糸工場で労働をした様子が書かれている『あゝ野麦峠』(山本茂実著1968年)の主人公 政井みねは、岐阜県吉城郡河合村(現飛騨市河合町)に生まれた実在する人物である。

文化財

古い町並 上三之町伝統的建造物群保存地区

城下町の中の町人町であり、1977(昭和52)年3月30日に市指定、1979(昭和54)年2月3日に国指定を受けた。造り酒屋や医院など昔ながらの町並みが残されている。また、下二之町大新町伝統的建造物群保存地区には、餅屋や骨董屋などの市民生活に関わる店舗が連なる町並みである。

高山陣屋

1692(元禄5)年、江戸幕府は飛騨を幕府直轄領とした。それ以来、1868(慶応4)年までの176年間に25代の代官・郡官が江戸から派遣され、行政・財政を執り行っていた。御役所、郡官(代官)役宅、御蔵をあわせて「高山陣屋」と呼ぶ。明治維新後、建物は高山県庁舎として使用していたが、1969(昭和44)年、岐阜県教育委員会は復元修理を着工し、1996(平成8)年3月までに江戸時代の陣屋の姿をほぼよみがえらせた。

飛騨国分寺

高山市内の中心に位置し、奈良時代に聖武天皇の詔で全国に造られた国分寺の一つ。現在境内には、室町時代建立の本堂、江戸時代の三重の塔、創建当時の塔跡とおもわれる礎石、高山城から移されたといわれる鐘楼門などがある。境内の大イチョウの葉が散ると、雪が降るといわれている。

生活文化

宮川朝市

江戸時代から米市、桑市、花市などの市として発展し、明治の中頃から朝市と呼ばれるようになった。高山陣屋前にたつ陣屋前朝市、宮川沿いにたつ宮川朝市はともに毎日行われている。

朴葉寿司

飛騨地方に多く自生する朴の葉は殺菌、防腐作用があり、また香りも良いため、6月から夏にかけ、寿司や餅などを包むのに使われる。朴葉寿司は皿や箸がなくても食べられるため、田や畑での農作業時の食事に適していたことがその始まりといわれる。また、火に強いという特性から、味噌や漬物などをのせて鍋がわりにして利用されている。

飛騨の語り部 故 種蔵泰一 氏

種蔵先生には、飛騨の民話として「みそかいばし (味噌買い橋)」「さんぷくじとうげのきつね (三福寺峠のキツネ) 」「ふたつばぐり (二ツ葉栗)」「こんごういんときつね (金剛院とキツネ) 」「げんこうじのきつね 」「牧のげんじ」などをお話いただき、記録した。

飛騨の語り部 故 種蔵泰一 氏の民話「味噌買い橋」のもとになった筏橋

伝統文化

春の高山祭「山王祭」 屋台曳き揃え

春の山王祭は、旧高山城下町の南半分の氏神様として崇められる日枝神社(山王様)の例祭で、毎年4月14日15日、上町を舞台に繰り広げられる。祭りの華は絢爛豪華な屋台であり、山王祭の屋台組が誇る12台の屋台が曳き揃えられる。その内、3台の屋台でからくり奉納が執り行われる。

春の高山祭「山王祭」 からくり奉納 三番叟

秋の高山祭「八幡祭」 からくり奉納 布袋台

秋の八幡祭は、旧高山城下町の北半分の氏神様として崇められる桜山八幡宮(八幡様)の例祭で、毎年10月9日10日、安川通りの北側、下町を舞台に繰り広げられる。秋の祭りでも華は絢爛豪華な屋台であり、八幡祭の屋台組が誇る11台の屋台が曳き揃えられ、からくり奉納も執り行われる。

産業

畜産業 飛騨牛

高山は、内陸性盆地型気候で昼夜・夏冬の温度差が激しく、湿度が比較的低い。また湧水にも恵まれた環境で、肉牛や乳牛、豚や鶏などが飼育されている。肉牛は、高山の畜産生産額の約60%を占めているが、この中でも肉質の良いものだけが飛騨牛として出荷される。

畜産業 飛騨牛

一位一刀彫

江戸時代末期、彫刻師の松田亮長が一位の材を用いて、その木目の美しさを活かし彩色を施さない彫り物をあみだした事に始まった。一位の木は常緑樹で古くから銘木として知られており、彫刻は年月と共に光沢が増し、色合いも濃く変わっていく。

さるぼぼ(飛騨国分寺 満願成就の棚)

さるぼぼは、古くから飛騨に伝わる人形。飛騨のことばで赤ん坊を「ぼぼ」ということから、猿の赤ん坊を意味している。赤色は、古くから病や悪霊除けの効力がある色とされた。

自然

臥龍桜

一之宮町の臥龍公園にある、推定樹齢1100年以上、枝張り30メートルのエドヒガンザクラ。樹形が龍の臥した姿に似ていることから臥龍桜と呼ばれている。

宮川

宮川は、川上岳かおれだけを源に市内の中心を南北に流れる河川で、金森長近が宮川を京都の鴨川に見立て整備させたという。川には中橋、鍛冶橋等いくつかの橋がかかり、川沿いでは宮川朝市が開かれ周辺は毎日にぎわっている。市民は宮川の一斉清掃等の川をきれいに保つ取り組みをしている。

乗鞍岳

北アルプスの南端に位置し、飛騨と信州の国境となる山である。23の峰、7つの湖、8つの平原があり多くの自然が見られる。山麓各地の集落からは多数登山道があり、昔からの信仰の対象であった。