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沖縄県エイサー オーラルヒストリー

袋中上人(タイチュウショウニン)...

 


 天文21年(1552年)1月29日、旧上西郷村同合(現在の西郷町忠多)で生まれ、幼名を徳寿丸(トクジュマル)と言われていました。14歳の頃に西郷の能満寺に出家し、袋中良定(たいちゅうよしさだ)を称しました。16歳の時に、如来寺、専称寺(共にいわき市平山崎地区)、20歳に栃木県の通円寺で浄土宗の教学を学び、24歳の時、東京武蔵の増上寺で修行。天正9年(1599年)には平の袋中寺菩提院を建立します。袋中上人は、江戸時代、慶長8年(1603年)、52歳の時、中国に新しい経論を求めて渡ろうと、長崎県の平戸港を船出しましたが、果たせず琉球(沖縄県)に漂着します。当時の琉球の尚寧(ショウレイ)王は、袋中上人を厚遇し、琉球の庶民に、浄土念仏の信仰を広めていきました。3年間琉球にいた袋中上人は、慶長11年(1606年)琉球を離れ鹿児島県に帰着し、その後諸国を回り、京都の三条橋畔に壇王法林寺を建立しました。また元和8年(1622年)奈良県の廃寺を再建し、善光院念仏寺と称しました。このように全国各地を巡り浄土宗を広めた名僧でした。袋中上人(タイチュウショウニン)は、寛永14年(1639年)に京都の西方寺に移り、永年16年(1642年)1月21日に88歳、本山円通寺で入寂しました。袋中上人(タイチュウショウニン)のお廟は京都の壇王法林寺にあり、お墓は西方寺にあります。(年表参照)

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